法隆寺の宮大工で西岡常一さん(1908~1995)という方がいました。
宮大工とは、神社や仏閣の建築・修繕を専門にしている大工職人で、
釘などは一切使用せず、木と木の木組みだけで建築するという、
非常に高度な技術を必要とする日本の伝統的な匠(たくみ)です。
木もいろんな癖があるようです。
人間同様、それぞれ個性を持った木を、数百年後の曲がり方の変化などを
考慮しながら組んでいくという、まさに神業です。
木から聞いて学び、木を知り尽くして木組みしていく。
生涯をとおして、そのような仕事を全うした西岡常一さんのことばを、
紹介させていただきます。
『私ら檜(ひのき)を使って塔を造るときは、
少なくとも三百年後の姿を思い浮かべて造っていきますのや。
三百年後には設計図通りの姿になるやろうと思って、
考えて隅木(すみぎ)を入れてますのや』
『塔のなかは外側と違いまして、そのしくみがよくわかりますのや。
表側は削ってきれいにしてありますけど、
奥のほうでがっしりと木が重なりあっていましてな、
それがよう計算されているんですな。
塔を支えるために木がしのぎを削っていますのや。
それを見ましても昔の大工が木をどう考えていたかが、よくわかります。
癖の強い木をうまいこと生かしましてな、
右に捻(ねじ)れる木と左に捻れる木を組み合わせてあります』
『大工にも自然観が必要なんです。
自分より大きな自然というものに対して
きちんとした考えを持たなあかんですよ。
やっぱりたった一本の木でも、
それがどんなふうにして種がまかれ、
時期が来て仲間と競争して大きくなった。
そこはどんな山やったんやろ、
風は強かったやろか、
お日さんはどっちから当たったんやろ、
私ならそんなこと考えますもんな。
それで、その木の持っている特質を生かしてやらな、
たとえ名材といえども無駄になってしまいますわ』
『自然には、急ぐとか早道みたいなもんはないですからな。
春に植えた稲は秋まで育てんと実がつきませんがな。
人間がいくら急かしても焦っても、
自然の時の流れは早うなりませんのでな。
急いだら米は実らんし、木は太うならん。
一度余裕をなくして儲けを追い出したら、
時間を待つこともできんし、
休むこともできんし、
どうしても「早く、早く」ということになりますな』
『親方のいうことにいちいち反対しているうちは、
親方のいうことがわかりませんのや。
一度、生まれたままの素直な気持ちにならんと、
他人のいうことは理解できません。
素直で、自然であれば正直に移っていきますな。
そのなかから道が見つかるんです。
何にも知らんということを自分でわからなならん。
本を読んで予備知識を持って、
こんなもんやろと思ってもろても、
そうはいかんのです。
頭に記憶はあっても、
何にもしてこなかったその子の手には何の記憶も残りませんのや。
それを身につけにくるのが弟子です。
技は技だけで身につくものやないんです。
技は心と一緒に進歩していくんです。
一体ですな。
なかなか手と頭はつながらんのです』